誰にも訪れる、死。
でも、実際にその時が来るまで、それがどのようなものか私たちには分かりません。
それが痛みをともなうのか、恐怖を感じるのか、パニックになるのか・・・。
ところが世の中には、臨死体験をし、その際に感じたすべてを書き残した人がいます。
それでは一体死の際とはどのようなものか、記録をみてみましょう。
臨死体験についての10の記録
喉を銃撃されたジョージ・オーウェル
有名なイギリス人作家のジョージ・オーウェルは、1937年に銃撃されました。
スペイン内戦に参戦し、銃弾が喉を貫通したのです。
“大まかにいうと、爆発の中心にいるような感覚でした。
大きな衝撃音がし、私の周りに目をくらますほどの閃光が走ったような感じで、もの凄いショックを感じました。
痛みはなく、電気端子から感じるような、強いショックだけです。
完全なる弱さの感覚。
打ちのめされ、無になるまでしなびれるような感じ。”
腕を動かそうとするまで、彼は自分がどのくらいひどく傷ついているか知りませんでした。
腕は応答せず、話そうとしても声が出ませんでした。
兵士の一人が「弾丸が首を貫通している」というのを聞き、彼は自分が死ぬことを悟ったのです。
“最初に考えたのは、ありきたりだが、妻のことでした。
次に考えたのが、この世を離れなければいけないという、激しい怒りでした。”
彼は、こんな愚かなことで死ぬことになってしまったと、苛立ったのです。
“なんて無意味なんだ!”
それでも彼は、自分を撃った人に怒りを感じることはありませんでした。
“もし彼が捕虜となって私の目の前に連れて来られたら、その素晴らしい銃の腕前を褒め称えただろう。”
グラント・アレンの溺死
イギリス人作家であるグラント・アレンは、スケート事故の時に溺れかけました。
しばらくの間死んでいたと、彼は主張します。
“覚えているかぎりでは、私はすぐに死んでいて、他に死人が出ていなければいいのにと願っていました。”
スケート中に氷が割れ、アレンは凍るような水の中に落ちてしまったのです。
彼は泳いで水面上に出ようとしましたが、頭上の硬い氷に頭を打ちつけてしまったのです。
アレンはもうまともに考えることができませんでした。
“私は冷たさに感覚を失い、突然の予期しない入水に気が動転していました。”
彼は、自分が落ちた穴を探さず、頭上の氷を突き破ろうと氷に頭を打ち始めるのです。
“私はあえぎ、大量の水を飲み込みました。
自分が溺れているのだと完全に分かり、不安を感じたその瞬間、次のことが頭をよぎったのです。
「私は死んだ」と。”
彼の人生が目の前を走馬灯のように流れることはありませんでした。
“逆にただ、寒さと湿っぽさと息苦しさ、ひどく激しいもがき、ひどい窒息感。
そしてそれがすべて終わった感覚がありました。”
友人が彼を何とか引っ張り出したのです。
しかしその時、彼は臨床的には死んでいました。
”死にかけているのと同じく、実際の死に際は、全く痛みがない・・・眠るかのように痛みがないのです。
ただ、その前の戦い、近づいていく感覚、そういったものは全く不快なものです。”
カール・パターソン・シュミットの毒蛇による死
1957年、蛇の専門家であったカール・パターション・シュミットはある毒蛇を特定しようとしている時に、その蛇に噛まれてしまいました。
それから24時間、彼は毒が命を奪い取っていく様子を記録したのです。
“午後4時30分から5時30分、激しい吐き気がしたが、郊外列車でホームウッドへ移動中は嘔吐なし。”
1時間後。
“強い寒気と震え、続いて38.7℃の熱。
でも、ブランケットとヒートパッドで長くは続かず。
口の粘膜からの出血は5時30分頃に始まり、明らかに主に歯茎からだった。”
彼はなんとか数時間睡眠をとりましたが、夜中に目を覚ましました。
“午前12時20分に排尿。
大部分は血液だが、量は少ない。”
彼は激しい吐き気のせいで、すぐに再び目を覚ましました。
最後の記述は午前6時30分でした。
“腸で軽い出血が進行しており、肛門に頻繁な刺激をともなう。
口と鼻から、過度ではないにせよ出血が続く。”
昼食の頃、彼はパニックして妻を呼びました。
医者が診た時、彼は冷や汗をかいていて、何を尋ねても答えられませんでした。
午後3時、死亡と宣告されました。
H.G.ウェルズの結核による死
SF小説家のH.G.ウェルズは、1800年代後半のまだ若かった頃、死にかけたことがありました。
当時、結核を患っており、生き延びる希望はありませんでした。
彼はサッカーの試合中に動けなくなりました。
“わき腹に大きな痛みがありました。
私の勇気は衰え、走れず、蹴ることもできませんでした。”
ウェルズさんはみなに断って、家の中に入りました。
“家では、著しく体調が悪く、横になりました。
それから排尿をするために動き、室内用便器が真っ赤な血で半分満たされているのを凝視する自分がいることに気づきました。
人生の中で最もうろたえた瞬間でした。
何をすべきか分からず、再び横たわり、誰かが来るのを待ちました。”
その後、医者はあと最長6ヶ月の命だと宣告します。
ウェルズはその後も学校へ通い続けますが、夜になれば差し迫った死について考えざるをえませんでした。
“私は、死という考えが嫌いでした。
有名になることも、世界を見ることもなかったことに怒りを感じました。”
けれども、もっと深刻なのは、若くして死にいく少年の満たされない性的衝動です。
“さらに怒りを感じたのは、私が童貞のまま死ななければならないと脅迫した拘束の網に対してでした。”
彼は、彼と寝ない女性に対して制御できない憤怒を感じていました。
そして、存在しないことへの恐れが彼を一番怖がらせました。
“私は不死を信じてはいませんでしたが、存在しない自分を想像することは不可能だと思ったのです。
この意識的な非実在へのアプローチは、悪夢のように感じました。”
彼の体は病気と闘い、生き残りました。
しかし、無へと消滅する恐れが、彼の人生を変えました。
これが、彼が作家として有名になる決心を喚起した瞬間だったのです。
カッセム・イードの毒ガス死
シリアの反政府勢力であったカッセム・イードは、2013年にダマスカスでサリンガスに襲われました。
ロケットが地面にぶつかる音がしたのですが爆発せず、代わりにガスが漏れ始めたのです。
“呼吸する能力を失うまで、ほんの数秒しかかかりませんでした。
胸は火をつけられたかのようで、目は地獄のように燃えていました。
私は叫ぶことさえできなかったのです。”
彼の隣人は、助けを求めてドアをノックしました。
その子ども達は、口から何か白いものを吐きながら死んでいました。
隣人と周りにいる人々の大半が、生き残ることができなかったのです。
“私は何百人もの人が窒息死するのを見ました。
そして私も、死体と一緒に置かれたのです。”
その後、生命反応を示したイードさんの体は、死体の山から引っ張り出されました。
彼は生き残りましたが、地獄を経験したのです。
“このように死ぬのは、人々が歴史を通じて知る中で最も醜い死に方だ。”
アニータ・ムアジャーニ「天国のイメージだった」
“それは素敵だった”
アニータ・ムアジャーニは、2006年に経験した臨死について語りました。
彼女は末期癌で助かる見込みもなく、昏睡状態に陥りました。
何かもっと重要なもの・・・向こう側へ本当に渡ったのだと、彼女は信じています。
“描写するのが難しい・・・
私が自分の体を離れたような感じで、意識が広っていきました。
私はあらゆるところにいて、愛する人たちに会いに行ったり、他の魂の存在を感じることができる、まるで神のような状態でした。
私がこの向こう側へ行った時、抗しがたいほどの愛と平和の感覚を感じました。
痛みは感じませんでした。
私は人生における自分の目標と、私がしなければならないことを見つけました。
癌の解決策は、私の中にあると気づいたのです。”
昏睡状態から抜け出した彼女は、奇跡的な回復を遂げました。
それから4日後には70%の癌がなくなり、5週間後には完全に治ったのです。
マシュー・ボツフォードの「地獄のイメージ」
死後のイメージがすべて平和に満ちているとは限りません。
マシュー・ボツフォードは昏睡状態に陥りましたが、彼が信じていたのは、向こう側を垣間見ることでした。
ところが、彼が見たものはそんな楽しいものではありませんでした。
彼は後頭部を撃たれました。
“ごく僅かな瞬間、頭上に熱く、針のようなものが突き刺さったような、耐え難いほどの痛みを感じました。
そして、私の目に厚く黒いインクが注がれたかのように、完全な暗闇が私を包み込んだのです。”
それから27日間、彼は昏睡状態にいました。
しかし彼の魂は、地獄に閉じ込められていたと彼は信じています。
“手を伸ばしたら、自分が実際には一種の監房のようなところに収容されていることが分かりました。
寒さが骨の髄まで染み込んできました。”
彼は裸で、無力で、悪魔のような存在に囲まれているように感じました。
“私の体が邪悪な力で圧迫されているように感じたのです。”
邪悪なもの以外は、彼はあまり感じることができませんでした。
“息はしておらず、考えることも全くありませんでした。
ただ、絶望と恐怖、破滅、そして暗闇以外何もありませんでした。”
ピエール・デュ・モンショーによる最古の臨死体験の記述
臨死体験の中で最も古い記述は、18世紀のフランスの医師、ピエール=ジョン・デュ・モンショーによるものです。
彼は熱で意識を失った男性の治療をしていました。
“その患者は、すべての外部感覚を失ったと、後に私に話しました。
澄んだ過度の光を見て、天国にいると思ったのだそうです。
彼はこの感覚をよく覚えていて、彼の人生の中でこれより素晴らしい瞬間はなかったといいました。”
デュ・モンショーは、以前からこういった臨死体験について聞いていました。
これらの体験の記録は少なくとも、神学者が「体と魂が離れていくにつれて、魂は最初の光線に照らされる」と書いた12世紀にまで遡るといいました。
彼はそれが精神的な体験だとは思いませんでした。
“すべての血液や体液が豊富に流れていて、これらの鮮明で強烈な感覚を刺激するのは、まさしくこの血流なのです。
この楽しい感覚を生み出すのは、静かで均等な血液の供給です。”
クリス・グティエレズの癌からの死
クリス・グティエレズは膵臓癌と戦っている間、ブログを続けていました。
彼女はもう生き残れないことが明らかになった時、死んでいくというのをどういう風に感じるのか描写しようと、最後の記載をしました。
“こんな風に死にたくはない。
私は気胸を2回経験しました。
ボテロの絵画のような浮腫を患っています。
浮腫は歩くと痛みます。
あなたは階段を下りるとき、膝をわずかに曲げることができますが、私の場合組織破壊や敗血症を引き起こす可能性があります。
喉いっぱいの胆汁や焼けるような胃のせいで、溺れていると思って目が覚める日がありました。”
彼女はまた、怒りを感じました。
“私は何か欲求不満を認めます。
構想をもった低価格の不動産投資事業を計画していました。
私はこれを実行することはないでしょう。”
彼女の心配は、家族と看病をしてくれた人たちのことでした。
“あまり痛みを感じず、愛する人たちに囲まれて死にたいです。
苦悩の中生きなければならないのは、私を愛する人たちです。”
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科学界からみる緩和ケアの中での死
死を理解することは、科学の世界でも興味を抱いています。
科学界の専門家が研究し、それぞれの人の異なる話から、死がどのようなものか最もふさわしい概念をえようとしています。
彼らの知識は直接的なものではありませんが、緩和ケアの人々の直接の経験から引き出されたものです。
ジェームズ・ハレンベック博士はいいます。
“臨終の際まず空腹感や渇きが失われ、次に話す能力や視力が失われます。
そして、最後に残るのは通常、聴覚と触覚です。”
ふつう、それが痛みを与えることはありません。
死がゆっくりで自然な時は苦しみはないのです。
“死に近づくにつれ私たちの知覚は弱くなります。
あなたは何が起こっているのか分かっているかもしれないし、分かっていないかもしれない。”
そう、デイヴィッド・ホイ博士はいいました。
ジモ・ボルジギン博士は、光を見ることが一般的だといいます。
“心停止から生き残った人の多くは、意識のない時に脳内でこの面白い経験をしています。
光を見て、彼らはその経験を現実より現実的だといいます。
その光の後にくるものは、私たちが知ることのできないものです。
“ほとんどの人は死ぬ時、目を閉じて眠っているように見えます。
その時点から実際に何が起こっているかは、推測するしかできません。”
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【画像】女子が選ぶ生理的に無理な顔をご覧くださいwwwお前らは大丈夫だよな??
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