イギリス・イングランドの都市ヨークから310マイルほど(約500km)離れたヘイスティングスへ向けて、ひたすら歩き続ける戦士の一行。
このオッサンたちは何者なのでしょうか?
ヘイスティングスの戦いを祝うイベント
かつての英雄に身をやつした彼ら、実は「ヘイスティングスの戦い」から950年の時を経たお祝いをしているのです。
中世風の衣装を身にまとったり馬に跨ったりと、軍人気分を満喫している1066名は、9月25日にヨークを出立し、10月8日の朝にハイドパークに到着。
武器の整備に11世紀の食事作りなど、忙しい1日を過ごします。
ヘイスティングスに入るのは14日。
950年前、イングランド王ハロルドⅡ世が、征服王として名高いノルマンディー公ウィリアムⅠ世(ギョームⅡ世)に出会った日です。
ヘイスティングスへの道すがら、役者たちは学校と提携し、一団への参加を呼びかけるイベントを各所で行いました。
ウィリアムⅠ世やハロルドⅡ世、その妹エディスなど、名だたる面々がその様子をツイッター上で公表しています。
中には通行人と一緒に写真を撮り、SNSに投稿する男優も。
食事や宿を現地の村人に提供してもらいながら、イングランドの東から南へ向かいます。
リーダーのニゲル・アモスはこうコメントしました。
「我々はサクソン人を演じているわけじゃない。ただサクソン人万歳!と言うのには、正直なところ飽き飽きなんだ。ヘイスティングスの戦いの犠牲者を悼むのに、あまり意義を見出せなくてね。ノルマン・コンクエストを国家的な悲劇だと考えるイギリス人は多いけど、僕はそうは思わない」
ヘイスティングスの戦いは、ノルマン・コンクエストの引き金となった事件です。
それは1066年10月14日、ヘイスティングスから7マイルほど離れた、現在の東サッセクスにあるバトル付近で起こりました。
ハロルドⅡ世は、自らの弟トスティと当時のノルウェー王ハーラルⅢ世を討ったのち、疲弊した兵を連れて南へ向かいます。
途中カルドベックの丘でフランスに奇襲をかける準備を整えたのが事件前夜。
翌日狙われたウィリアムⅠ世ですが、実はその計画を知っていたのです。
結果、中世において極めて悲惨な事件が起こることとなりました。
死者の数は明らかになっていませんが、墓の建設が追いつかないほどで、家族が回収に来るまで現場にはおびただしい数の死体が放置されていたと言います。
戦に勝利したウィリアムⅠ世は、その後戦場だった場所にバトル大聖堂を建てました。
そしてその年のクリスマス、ウェストミンスター寺院で、イングランド王として即位したのです。
戦の様子がバイユーのタペストリーに描かれていたり、兵たちに扮した人たちの行進が催されていたりと、事件は未だ人々の記憶に強く残っている模様。
参加者はウェストミンスターからエルサンへ行き、ルリングストン、トンブリッジ、ベイハム、ブライトリングを経て、最終日10月14日、バトルへと向かう予定です。
海外の反応
・1066年か。そんな前のことが、今に影響与えてんだな
・参加すればよかった。
・この戦をきっかけにイギリスは変わったんだね。変化ってあんまり好きじゃないな。ああ、古き良き日々・・・。
・950年前も今も、戦争は起こってる。争いや殺しが終わることはないって、いやでも思わされるよ。
・この事件って、実は今のバトルのあたりで起こったんじゃないらしいね。
・歴史学者どもは、この戦いの正確な場所まだわかってないんだろ?
コメント欄を見る限り、大昔のことが現在に与える影響の大きさを痛感している人が多いようでした。
中には新事実発覚の香りを漂わせるものも・・・まだまだ深そうですね。
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「祝う」日なのか?